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2026.05.14

『ウルフ・ワークス』見どころをご紹介します

コラム

森菜穂美(舞踊評論家)

ヴァージニア・ウルフの3つの代表作が、現代の古典と呼ばれる斬新な傑作バレエ作品に

20世紀の最も偉大な小説家の一人と評価されるヴァージニア・ウルフの世界を3つの代表作を通して描いた『ウルフ・ワークス』。映画『めぐりあう時間たち』(ニコール・キッドマンがウルフ役を演じてアカデミー賞主演女優賞を受賞)でも描かれた彼女の人生と作品を、ロイヤル・バレエの常任振付家であるウェイン・マクレガーが2015年にロイヤル・バレエのために振り付けた本作は、現代バレエの世界を変えた革命的な最高傑作として熱狂的に評価されました。人間の脳の働きがどのようにダンスの動きへと伝わっていくかという科学技術的な研究を通じて、斬新な振付作品を生み出してきたマクレガーが生んだこの傑作はローレンス・オリヴィエ賞と英国舞踊批評家協会賞を受賞し、ロイヤル・バレエで3度にわたってリバイバルされただけでなく、ミラノ・スカラ座バレエやアメリカン・バレエ・シアター、ウィーン国立バレエなど世界を代表するバレエ団でも上演されています

20 世紀の最も画期的な作家の一人であるヴァージニア・ウルフは、文学の慣習に逆らい、彼女の衝撃的で痛烈な現実である豊かな内面世界を描写しました。伝統的な物語の語り口から離れた『ウルフ・ワークス』は、彼女の代表作『ダロウェイ夫人』、『オーランドー』、『波』からテーマをコラージュし、ウルフの「意識のながれ」という文体を呼び起こしました。

3つのパートがそれぞれ全く違った作風のダンス作品となっているのが本作のユニークなところです。『ダロウェイ夫人』をモチーフにした『I now, I then』は物語性の高い演出でナタリア・オシポワが演じる主人公と、彼女の記憶の中の人々を描きます。性転換しながら400年生きた青年貴族の数奇な運命を描いた『オーランドー』(ティルダ・スウィントン主演の映画でも知られています)に基づく『ビカミングス』は、マクレガーらしいハイスピードの近未来的な動きの連なりと照明がスタイリッシュで金子扶生らの活躍が見ものです。『波』をバレエ化した『火曜日』は、ウルフの遺書の朗読の後、ウルフ役のオシポワがウィリアム・ブレイスウェルとのデュエットから波のような群舞に融合し、やがて死を迎えますが、詩的で美しい余韻を残します。本作のために委嘱されたマックス・リヒターによるドラマティックな旋律とサウンドスケープも忘れがたい印象を残します。

 

<傑作の誕生は、他ジャンルのトップクリエイターとのコラボレーションによるもの>

「魅惑的な感情と過激な知的意図に満ちたバレエ」(ガーディアン紙)としての『ウルフ・ワークス』の絶大な力は、その芸術チームの強力な想像力にあります。振付家兼演出家であるウェイン・マクレガーは、コラボレーションの達人かつ革新者として名声を確立しています。伝統的な慣習に挑み、他メディアと融合し、多様な創造者たちと協働することで芸術の境界を押し広げてきました。

ロイヤル・バレエではコンテンポラリーダンスの振付家として初の常任振付家であるマクレガーは、『クローマ』『インフラ』などの中編作品で成功を収めてきましたが、『ウルフ・ワークス』は彼がロイヤル・バレエのために振り付けた初の全幕作品でした。2015年の初演では、元プリンシパルで伝説的なバレリーナのアレッサンドラ・フェリ(現ウィーン国立バレエ芸術監督)が、50代でのバレエ団への復帰を果たしてヴァージニア・ウルフ役を創作、初演して、舞踊批評家協会の最優秀女性ダンサー賞と、オリヴィエ賞のダンスにおける傑出した功績賞を受賞しました。

『ハムネット』で今年のアカデミー賞作曲賞にノミネートされ、同世代で最も影響力のある作曲家のマックス・リヒター、高名な建築事務所 Ciguë(シグー) と We Not I、照明デザイナーのルーシー・カーター、ロンドン・パラリンピック開会式の衣裳を担当した衣裳デザイナーのモリッツ・ユンゲ、映像デザイナーのラヴィ・ディープレス、メイクアップデザイナーのKABUKI、ドラマトゥルグのウズマ・ハミードという輝かしいチームをマクレガーは率いて、現代バレエの最高傑作を生みだしました。

 

<マックス・リヒターが本作のために作曲した圧巻のスコア>

『ウルフ・ワークス』のためにマクレガーは著名な作曲家マックス・リヒターに新しいスコアを委嘱しました。リヒターは、マクレガーと長年にわたってコラボレーションを行ってきており、ともにバレエ作品『インフラ』やリヒターの室内楽オペラ『Sum』を創作しています。またリヒターとマクレガーは、もう一人の著名な女性作家マーガレット・アトウッドの33つの作品に基づく終末後の世界を描くバレエ『MaddAddam』(カナダ国立バレエとの共同制作で、ロイヤル・バレエでも2024年に上演)でコラボレーションを行いました。

『ウルフ・ワークス』のためにリヒターはオーケストラと電子音響を融合させ、魅惑的で絶え間なく展開する音楽素材とスリリングなサラウンドサウンドの間を行き来する楽曲を創り出しました。リヒターはウルフの手紙、日記、エッセイの断片を音楽に織り込み、小説家の声を捉えています。

 

<ウルフの「意識のながれ」手法をバレエ作品に>

ドラマトゥルグのウズマ・ハミードは、本作の創作にあたって公演プログラムに以下のことを記述しています。
「ウルフ自身がダンスに魅了され、その言語の要素を自らの創作プロセスに取り込み、脳だけでなく感情と身体に根ざした文章を生み出したこと。さらに彼女の小説は生活の表層的な詳細から、心の中で絶え間なく展開される豊かな内面の物語へと焦点を移しています。彼女は私たちを、できごとが時系列ではなく主題的に連なり、感情と感覚の織り成す世界が、もろい物体の世界よりも濃密に感じられる世界へと没入させる。これらすべてが、ダンスの自然な領域と見なせるでしょう。」

ウルフが自身のエッセイ『職人の技術(クラフツマンシップ)』を朗読した唯一の現存する音声記録が、バレエの冒頭で楽曲内の語り部セクションの一つとして使用されています。女優のジリアン・アンダーソンが「世界で最も美しい遺書」として知られているウルフの遺書を朗読し、英国演劇界を代表する偉大な女優マギー・スミスがウルフの文章の一節説を朗読する音声も使用されています。

このようにして、ヴァージニア・ウルフの高度に洗練された世界を再現したバレエが誕生しました。

 

<ヴァージニア・ウルフの世界を体現する、ロイヤル・バレエのスターダンサーたち>

今回のシネマでは、第1部『ダロウェイ夫人』パートでアレッサンドラ・フェリが演じた、ウルフの分身でもあるクラリッサ役を、現代最高のバレリーナであるナタリア・オシポワが演じ、深みのある演技と共にマクレガー特有の複雑な動きを劇的に演じています。クラリッサの少女時代は前田紗江が生き生きと演じ、同性の恋人サリーを演じるレティシア・ディアスとの情熱的なキスシーンが印象的です。クラリッサの過去の恋人ピーターをウィリアム・ブレイスウェル、クラリッサの夫リチャードを来シーズンよりプリンシパルとしてロイヤル・バレエに入団する話題の新スター、パトリシオ・レーヴェが演じます。戦争のトラウマに苦しむ兵士セプティマスはマルセリーノ・サンベが熱演。上官でセプティマスとのデュエットを踊るエヴァンス役をマルコ・マシャーリ、そしてセプティマスの妻レツィアを高田茜が繊細に演じています。

第2部の時代とジェンダーを乗り越えて400年生きた美しき青年貴族を描いた『オーランドー』にインスパイアされた現代的でスタイリッシュな『ビカミングス』では、アクリ瑠嘉、金子扶生、クレア・カルヴァート、レティシア・ディアス、前田紗江、高田茜、中尾太亮、マルセリーノ・サンベらがSF映画の中にいるようなにレーザー光線の中で縦横無尽に時空を超えて、切れ味鋭く踊ります。中心的なパートは、金子扶生がサンベと共にきらびやかでダイナミックな超絶技巧を披露し、鮮烈な印象を残します。

そして第3部『波』に基づく『火曜日』では、名女優マギー・スミスの朗読から始まり、ジリアン・アンダーソンによるウルフのエモーショナルな遺書の朗読に続き、ウルフ役のナタリア・オシポワが子役を含む群舞のダンサーたちによって描かれる波や夫役ウィリアム・ブレイスウェルの腕の中で揺れるように踊り入水自殺による最期の時を迎えます。
プリンシパルが5人出演し、さらに日本人ダンサーも多数活躍するなど、豪華キャストも見どころの一つです。

「何よりも、このバレエを観ることをウルフの作品を読むような感覚に近づけたかったのです。彼女の世界の輝き、響き、切なさと彼女のビジョンの現代性を伝えるために」というハミッド[m1.1]の言葉通り、ヴァージニア・ウルフの作品世界を、ロイヤル・バレエのトップスターたちによる現代バレエの最高傑作で堪能する『ウルフ・ワークス』。文学と最先端のバレエが融合した総合芸術を、マックス・リヒターの音楽と共にスクリーンで味わってください。