コラム
ヴェルディ『椿姫』が描きたかったもの
今年の冬季オリンピックは、落ち着かない国際情勢の中、多くの感動をもたらし、人々の心にあかるい光を灯した。ミラノ・コルティナという2都市の名を冠した初めての五輪であり、開会式も四ヶ所に分散して行われた。一方、閉会式はヴェローナの古代闘技場アレーナ・ディ・ヴェローナが会場に選ばれた。アレーナ・ディ・ヴェローナは毎年夏に野外オペラ音楽祭の会場となり、世界中から観光客がつめかける。そのためか、2月22日(現地時間)の閉会式は、まるでスポーツではなくオペラとバレエの祭典のようだった。舞台裏では忙しく歩き回る責任者が『アイーダ』『蝶々夫人』などと書かれた楽屋の扉をノックし、廊下ではリゴレットの扮装をした俳優がスタンバイしている。そして、広大なステージに18世紀ロココ風の衣裳をまとった楽士たちが現れると、ヴェルディの『椿姫』が奏でられ、式典が始まった。
『椿姫』を作曲したヴェルディがこの光景を見たら異議を唱えたかもしれない。というのも、このオペラは19世紀に社会から疎外された女性の〈愛と死〉を同時代の物語として描いた作品であり、宮廷風のファッションとは何の関係もないはずだからである。だが実は、オリンピックの演出はあながち的外れではない。1853年にヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場でこのオペラが初演された際、当時の現代という設定のままでは検閲を通らないとされ、『椿姫』はリシュリュー政権下のフランス風の衣裳で演じられたのだから。真実は人々の心にトゲのように刺さるものであり、それを見たくないという心理は常に存在するのである。
英国ロイヤル・オペラにおいて1994年の初演以来上演を重ねてきたリチャード・エア演出の『椿姫』は、長く愛されてきたことが納得できる優れたプロダクションだ。美しいが決して派手すぎない舞台と衣裳、台本に忠実で奇をてらわないリアルな演出は、この作品の本質を的確に表現している。
それに加えて今回は、エルモネラ・ヤオが奇跡のようなヴィオレッタを演じた。アルバニア出身のソプラノ歌手ヤオはヨーロッパを中心に一流歌劇場に出演し続けているが、とりわけ英国ロイヤルの観客に愛されている。ヤオは没入型の演技で知られ、プッチーニの『蝶々夫人』『修道女アンジェリカ』『トゥーランドット』(リュー)などを得意としているが、それにも増してヴェルディ『椿姫』のヴィオレッタを最大の当たり役としており、これまでに舞台で300回も歌っているという。実際、映像作品としても、エア演出の舞台が英国ロイヤルで1994年に初演された際のアンジェラ・ゲオルギュー、2009年のルネ・フレミングに続き、2019年にヤオが歌った『椿姫』も映像化され、高い評価を得ている。だがそのときと比べても、今年1月に上演された今回の『椿姫』におけるヤオは、彼女自身を軽々と超えている。まず声が美しい。成熟した深みのある響きをまとい、ドラマティックな表現から声量をぐっとしぼったピアニッシモまで自在に操るテクニックは見事の一言だ。ヴィオレッタの心理が手に取るように伝わる。しかもオペラが後半に進むにつれて表現力はさらに増し、最後の場面の迫力は圧倒的だ。何度観たか分からないこのオペラの結末で、自然と涙があふれてくる。
また今回は指揮と共演者も特筆に値する。2019年に続いてタクトを取ったアントネッロ・マナコルダは円熟味を増し、歌手たちからドラマを最大限に引き出しつつ、推進力のある音楽づくりを実現している。アルフレードのジョヴァンニ・サラはイタリアの若手テノールで、初々しさと自然な演技がこの役に理想的である。父ジェルモンのアレクセイ・イサエフも、堂々とした体躯にふさわしい豊かな声を聴かせる。他のキャストや合唱も、演劇の国イギリスならではの表現力で、目と耳を奪う。この『椿姫』は、英国ロイヤルの長年の歴史の中でも、とびきりのプロダクションとして人々の記憶に残るだろう。