石川了(音楽・舞踊プロデューサー)
<何気ない日常がこんなに愛おしい―――胸を熱くする『ラ・ボエーム』>
コロナ禍の中で―――音楽を楽しむ選択肢
誤解を恐れずに言えば、数百年の間、戦争や革命、疫病や社会の変化に適合しながら生き残ってきたクラシック音楽は、ウィルスのようなものだと思う。その音楽に触れた者を幸せにし、死ぬまで夢中にさせるウィルス。クラシック音楽はきっと、今回のコロナ禍でも自らの存在価値を急速に変容させながら、その楽しみ方を多種多様に増殖させていくのだ。
しかし、今はまだ、大人数の飛沫が懸念されるオペラは、通常の形での再開が厳しい。だから、生のオペラが叶わないならば、大きなスクリーンと劇場の音場を持つ映画館でのオペラ鑑賞を、音楽を楽しむ選択肢の一つに加えてみてはどうだろう。
夢を糧に生きる若者たちを描いたオペラ
その第一歩として最適なのが、8月14日から上映予定の英国ロイヤル・オペラ公演『ラ・ボエーム』だ。
お金は無くても夢を糧に生きる若者たちの日常を描いた、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)4作目のオペラで、作曲家自らの青春時代が投影された瑞々しいサウンドが、約2時間という映画のようなコンパクトな長さに凝縮されている。その余りに切ないストーリーと音楽に、オペラをあまり観たことがない方でも涙腺崩壊必至だ。
原作は、フランスの文人アンリ・ミュルジェールの実体験に基づく小説『ボヘミアンの生活の情景』。因みに、ボエームとはボヘミアンのフランス語で、自由に生きることに憧れた19世紀パリの芸術家の卵たち(もしくは芸術家気取りの若者たち)のことを指す。
オペラでは、詩人ロドルフォと画家マルチェッロ、音楽家ショナール、哲学者コルリーネが、ひとつ屋根の下で、その日暮らしの生活に四苦八苦。薪も買えず自らの作品(紙)をストーヴに燃やして暖をとる始末だ。大家の家賃の催促をあの手この手で逃れ、なけなしの稼ぎで買った1匹の魚とワインをみんなで分け合う彼ら。そんな中、ロドルフォはお針子ミミと出会い、お互いに心を寄せ合う。一方、マルチェッロと歌手ムゼッタは愛し合っているのに喧嘩ばかり。しかし、ミミの病気は進行し、彼女はロドルフォに別れを切り出す。そして、ミミはみんなに見守られながら死んでいく・・・。
ロドルフォとミミが出会うアリア「冷たき手を」「私の名はミミ」、彼らが心を寄せ合う二重唱「愛らしい乙女よ」、マルチェッロの気を引きたいムゼッタのアリア「私が街を歩くと」、ロドルフォに別れを告げるミミのアリア「さようなら、あなたの愛の呼ぶ声に」、2組のカップルの別離の四重唱「楽しい朝の目覚めも、さようなら」、別れた恋人を忘れられないロドルフォとマルチェッロの二重唱「もう帰らないミミ」、病気のミミを助けようと自分の外套を売るコルリーネのアリア「古い外套よ、聞いてくれ」など、誰もが一度は耳にしたことがある名旋律が満載だ。
ソニア・ヨンチェヴァ独壇場の最終幕
今回の映像は、日本での知名度は低いが歌に演技に秀でた歌手が多く出演し、いい意味でスター歌手のカリスマに邪魔されないリアルな芝居が楽しめるのがポイント。まさにシェイクスピアの国、英国ならではの演劇オペラが堪能できる。演出は演劇畑でも知られるリチャード・ジョーンズ。舞台装置はミュージカル『タイタニック』のスチュワート・ラングで、特に第2幕は、舞台がパリの雑踏からカフェ・モミュスのレストランに自然に転換するなど、驚きの連続だ。
歌手では、やはりミミを歌うブルガリア生まれのソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァに注目だろう。東欧出身らしい豊潤な声と確かな演技力で、英国ロイヤル・オペラとNYメトロポリタン歌劇場を中心に世界中で活躍している。特に、第3幕はヨンチェヴァの独壇場。最終幕のミミの死も、その迫真の演技から目が離せない。
『ラ・ボエーム』は、今青春を謳歌している若者たちにも、若き日に青春を謳歌した熟年層にも胸を熱くするオペラだ。
幸い、国内の映画館は再開され、館内の換気やソーシャルディスタンスの確保など、観客と従業員の安全のためのさまざまな感染予防対策が講じられている。今こそ、ウィズコロナ社会の新しい生活様式の中で、映画館でクラシック音楽を楽しむ第一歩を踏み出してみようじゃないか!