家田 淳(演出家・翻訳家 洗足学園音楽大学准教授)
多様性の時代におけるオペラ
2021年秋のこと。
「ロイヤル・オペラ・ハウスが、演目から人種差別的な要素を撤廃する方針」というニュースを、たまたまネットで目にした。
近年、欧米では#MeToo運動、Black Lives Matter運動に背を押され、エンタテインメント業界でも人種・性的マイノリティを積極的に登用したり、マイノリティの社会をフィーチャーした作品を作る動きが盛んで、有色人種や女性を入れて多様性を出すことは、一時的なトレンドにとどまらない大きな流れになっている。
「ついにオペラも時代の波に乗ったか」と感心しながら記事を読んだ数日後、ロイヤル・オペラ・ハウスから一通のメール。
なんと劇場が「蝶々夫人」の既存演出をアップデートするプロジェクトを立ち上げるので、日本側の代表の一人として参加してもらえないか、という打診だった。
「蝶々夫人」は言わずと知れた明治の長崎を舞台にしたプッチーニの名作だが、欧米で上演される場合、そこに登場する日本は80年代のハリウッド映画に描かれるような妙ちくりんなフジヤマ・サムライ・ニンジャのジャパンであることが、残念ながら多かった。
このロイヤル・オペラ・ハウスの既存プロダクション(2003年初演)も、比較的ましな方ではあるものの、衣裳やメイクは、もうどこから突っ込んでいいか判らないほど間違いだらけ。日本人役のメイクは歌舞伎風の白塗りで、目は吊り目、着物は単なるVネックのローブ。明治時代なのに髪型は平安時代。
そこについにメスが入るのか…!! 時代は変わるものだ。果たして自分がその重責に相応しいのか不安には思いつつも、オンラインで会議に出席して意見を述べたり、専門家を紹介して会議の通訳や資料の翻訳をする形で、2022年春、改訂「蝶々夫人」が上演されるまでプロジェクトに参画した。
アップデートの現場では
劇場側の真摯な姿勢は、差別されてきた側の日本人の方が頭が下がるほど。「20世紀初頭の西洋優位の価値観で書かれたこのオペラを、レパートリーに残しておくべきなのか?」というそもそも論に始まり、「バタフライ(蝶々さん)の家の使用人たちの姿勢や態度が卑屈すぎる。日本人を格下に置くような演技を修正すべき」「衣裳、メイクはできるだけリアルにしたい」といった提案が次々となされた。
ただ衣裳については、本来であれば一から作り直すか、現地に日本人の専門家が飛んで現物を使って手取り足取り教えないことには、とても小手先で直せる範囲ではない。しかしコロナ禍でのプロジェクト、こちらはオンライン参加にとどまるしかできず、どこまで意図が伝わり正確に現場に反映されるのか、フラストレーションもあった。
舞台衣裳デザイナーの半田悦子氏を招いて、衣裳とヘアメイクの具体的な改善点を伝えていた時のこと。大量の参考写真やイラストを見せながら、一つ一つの役柄についてダメ出しをしていくが、Zoomではなかなかニュアンスが伝わりづらい。
しびれをきらした半田氏がズバリ一言。「あの、皆さんは、こういう吊り目のメイクが日本人らしい顔を表しているとお考えなのでしょうか?」
…シーン。
向こう側の空気が凍りついたのが、画面越しでもわかった。
(「えっ、違うの?」「でもそれって言っちゃいけないやつだよね(汗)」)という彼らの脳内セリフが見える。
しばしの沈黙ののち、向こうから一言。「それこそが、私たちが教えてほしいことなのです」
半田氏、少しため息をついて「ええとですね、日本人の女性は、自分を可愛く見せるために、目は丸みをもって描きます」 なるほど、と納得の空気。
そうか。日本人といえば吊り目なんだ、今でも。
いわゆるアジア人ステレオタイプが、今そこにいる人たちの頭の中にもしっかり生きていることが、露わになった瞬間であった。
更に別の回で、キャスティングが話題になった際の話。参加者の一人として呼ばれていた若い中国人メゾソプラノ歌手が、明るく言い放った。「私にはしょっちゅうスズキ役のオファーが来るけど、断っています。一度受けるとその役ばっかりが来て、他の役ができなくなってしまうから」
軽くガツンとやられた。もし私だったら、ヨーロッパの歌劇場からオファーがもらえるだけで嬉しいと思ってしまう気がする。少なくとも過去にはアジア人歌手はそうやって、バタフライやスズキのスペシャリストとして生きていくケースが多かったのではないだろうか?
近年は中国人や韓国人の歌手が世界の歌劇場で大躍進しているが、この歌手も「人種枠」はハナから念頭になく、むしろお断りなわけだ。時代はどんどん進んでいるのだなあ。
この「人種枠で特定の役に縛られると、歌手本人のキャリアが狭められてしまう問題」についても色々と意見が出た結果、「アジア人の役にはアジア人を積極的に起用する。ただし『人種だけではなく実力で選んでいる』と歌手本人に示すために、例えばスズキ役をオファーする場合には、別の作品の役も同時にオファーすれば良いのでないか」というところで締め括られた。
また、演技面ではムーヴメントの専門家の上村苑子氏が現地で稽古に参加し、歌手に和の所作を指導した。その様子は付録映像で紹介されている。
心からの敬意を
このようなプロセスを経てお披露目となったのが、このシネマシーズンで上映される「蝶々夫人」。衣裳の細部などは完全とは言えないものの、欧米で上演される「蝶々夫人」の舞台としては相当に自然かつリアルで、音楽とドラマに集中できる仕上がりとなっているのではないだろうか。
何より、こういった問題認識がなされ、劇場をあげて解決に取り組もうという姿勢、オペラ・ハウスもまた現代社会を担う一端であり、発信する作品は社会に対して責任があるという信条は学ぶべきことが多く、心から敬意を表したいと思う。