A・ネトレプコ、J・カウフマンという現在のオペラ界最大のスターに、現代最高のヴェルディ・バリトンと評価されるL・テジエ、イタリアを代表する現代最高のバスのひとりF・フルラネットら望みうる限りのドリームキャストを揃え、そしてヴェルディの解釈には定評のある音楽監督のA・パッパーノが指揮をとったロイヤル・オペラ『運命の力』。
一般発売前にチケットがほぼ完売するという異常事態が起きた今シーズン随一の話題作を、音楽評論家の加藤浩子氏が、日本公開に先駆けて余すところなくレポート!
オールスターキャストで実現した「偉大な公演」〜《運命の力》公演レポート
ヴェルディの《運命の力》は、タイトルや序曲がよく知られているわりには名演に出会うことが難しいオペラである。力のある歌手が何人も必要なことに加え、物語が複雑に感じられることも一因かもしれない。
だが、メインのストーリーは単純である。大貴族の令嬢レオノーラとインカ帝国の血を引く混血児のドン・アルヴァーロが愛し合い、駆け落ちしようとして失敗。その際にアルヴァーロがレオノーラの父の侯爵を誤って殺してしまったため、侯爵の息子にしてレオノーラの兄であるドン・カルロに追われる身になる。合間に息抜きをかねたユーモラスな情景が挟まれるが、いちばんのテーマは復讐だ。アルヴァーロはカルロに決闘を挑まれて殺してしまい、侯爵家の血が絶える。望まないのに侯爵家を滅ぼしてしまったアルヴァーロ。それこそが「運命の力」というわけだ。
暗い物語のなかの一筋の救いが、アルヴァーロの恋人レオノーラの存在。最後は兄の手にかかって命を落としてしまうが、天使のように清らかな生き方を貫く。ヴェルディの音楽は、劇的な物語を時にダイナミックに時に華麗に表現する。次から次へと現れる、息長く雄大で情熱的な旋律は、本作の最大の魅力だ。「歌えば歌うほど、このオペラが好きになるの。声にとってはとても『歌いやすく(=comfortable)』書かれているんです」(ロイヤルオペラのトレイラー、および公演前のプレイベントにおけるネトレプコの発言)。
ロイヤルオペラでこの3月にプレミエを迎えた《運命の力》は、A・ネトレプコ、J・カウフマンという現在のオペラ界最大のスターに、現代最高のヴェルディ・バリトンと評価されるL・テジエ、イタリアを代表する現代最高のバスのひとりF・フルラネットら望みうる限りのドリームキャストを揃え、しかもヴェルディの解釈には定評のある音楽監督のA・パッパーノが指揮をとるとあって、今シーズン随一の話題公演となった。加えてネトレプコとカウフマンの顔合わせは全10公演のうち5公演だったため、彼らが出る公演のチケットは一般発売前にほぼ完売という異常事態が出現した。
果たして、公演は素晴らしいものだった。「偉大な」と形容してもいいかもしれない。とにかく、すべてが揃っていた。歌手も、指揮も、演出も。
歌手たちはまさに適材適所。主役級がすべて声楽的な面で役柄にあっており、このキャスティングが彼らの人気に負うものではなく演目にふさわしい「旬」のものであることを痛感した。レオノーラは今回が初役というネトレプコは、近年増した声量と、伸びやかでクリーミーな高音を生かし、第2幕の修道院に入る決意を歌うアリア「とうとう着いた、神よ感謝します」や、第4幕冒頭の、心の平和を願う有名なアリア「神よ、平和を与え給え」で客席を魅了。第2幕幕切れの修道院に入るシーンでの合唱に伴われたソロ「天使のなかの聖処女よ」では、光り輝くヴェールのような奇跡的な音楽が出現した。
悲劇の主人公アルヴァーロを歌ったカウフマンは、翳りのある美声に密度が加わり、声量も増してまさに充実の時を迎えた印象。彼の声に聴かれる一種悲壮な音色は、悲劇的な運命に巻き込まれた純粋な青年にぴったりだ。第3幕のアリア「君よ天使の腕に抱かれて」は、心理的な表現を得意とするカウフマンならではの、アルヴァーロの悲しみが心に響く名唱となった。
カルロを演じたテジエは、主役3人のなかではもっともイタリア的な輝かしく開放的な美声を持ち、イタリア・オペラを聴く快楽に浸らせてくれる。第4幕のアルヴァーロとの決闘の二重唱では、「運命の力」や「許し」を暗示する切なくも美しい旋律が2人のパワフルな声に乗って応酬する、白熱のクライマックスが出現した。
僧侶役を担当した2人のイタリア人バス、修道院長のフルラネットとメリトーネ修道士役のコルベッリも、それぞれの個性を生かした名演。フルラネットの荘重さ、コルベッリの飄々とした持ち味が、役柄にぴたりとはまっていた。また冒頭でアルヴァーロに殺されるカラトラーヴァ侯爵には、1940年生まれで半世紀以上のキャリアを誇る大ベテランのロバート・ロイドが扮し、健在ぶりを示した。
しかし音楽面での最高の立役者は、指揮のアントニオ・パッパーノだろう。ネトレプコはプレトークでパッパーノの「音楽への愛、歌手への愛」を強調していたが、そのことを想像させてくれる音楽作りだった。本作の醍醐味である大きなうねりと豊かなスケール感をたっぷりと味あわせてくれつつ、歌手の「歌」も存分に聴かせる。上演時間が長く、本筋と関係のないエピソードが盛り込まれるため、指揮者によってはだれてしまうこともある《運命の力》という作品が、これほど豊饒な音楽に満ちていると教えてくれる指揮はめったにない。そして劇的な瞬間を演出するオーケストラの鮮やかなことといったら!第4幕の大詰めで、レオノーラがドン・カルロの剣に倒れる箇所、兄妹の再会と殺人という究極の瞬間が、ひらめく剣の輝きが見えるように鋭利に聴こえたのは初めてだった。
クリストフ・ロイの演出(オランダ国立歌劇場との共同制作)は、舞台を20世紀前半におきかえ、人間関係をていねいに描いたわかりやすいもの。全編は、戦場という設定の第3幕を除いて同じ部屋のなかで演じられるが、この限られた空間が、登場人物の人間関係の逼塞感〜カラトラーヴァ侯爵一家の家族関係や人種間の軋轢〜に連動しているように感じられた。序曲が演奏されている間、舞台ではレオノーラの少女時代の家族関係がパントマイムで演じられる。幼いころから信心深いレオノーラ、ちょっとぐれているようなドン・カルロ(成人してからの彼はアルコールを手放せない)、そして厳格な父の侯爵。この伏線があると、全体の見通しがぐっとよくなる。
一方、スペクタクルな群衆場面は、舞台後方の扉向こうに設けられた階段も活用しつつ、躍動的に演出されていた。多くの場面を見守る磔刑のキリストの十字架も、作品の宗教性を訴えて効果的だった。伝統的な演出で「歌」のオペラとして演出されることがまだまだ多い《運命の力》だが、このくらい演劇性があったほうが、物語が理解しやすくなる。
旬の歌手と演出家、そして作品を把握した指揮者。すべてに恵まれたロイヤルオペラの《運命の力》は、これぞオペラ!の快感に心ゆくまで浸らせてくれた。ぜひ、一人でも多くの方に見ていただきたい。オペラってすばらしい、と思っていただけることは間違いないから。