2024.09.17
オペラ『アンドレア・シェニエ』見どころをご紹介します。
香原斗志(オペラ評論家)
ROHの《アンドレア・シェニエ》が最高にエキサイティングな理由
《アンドレア・シェニエ》を超える情熱的なオペラは思い当たらない。舞台はフランス革命をはさんだ激動の時代。実在した詩人シェニエを中心に、伯爵令嬢マッダレーナ、彼女の家の従僕ジェラールらの運命は、革命の前後で劇的に変わる。運命に翻弄される彼らの愛と嫉妬と死は、いきおい究極の魂の叫びになる。展開はスピーディで、変化に富む音楽は雄弁な管弦楽に支えられ、人物の情熱はそのまま旋律となって聴く人の心を揺さぶる。
ロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督を22年の長きにわたって務めたアントニオ・パッパーノが、退任前の最後の上演にこの作品を選んだのは、とても納得がいく。そしてパッパーノの手腕により、激しい情熱は品格と美に昇華させられた。
作り込みが徹底してごまかしがない舞台
2015年に初演されたデイヴィッド・マクヴィカー演出の舞台の再演だが、読み替えも時代の移行もなく、第1幕はフランス革命前後、第2幕から第4幕はその5年後として描かれる。歴史の細部が大切にされ、その結果、洗練された舞台装置や衣裳は簡略化や抽象化されることなく、細部まで徹底して作り込まれてごまかしがない。しかも、どの場面も人物の動きをふくめ映画のように作り込まれている。
第1幕は、貴族のサロンならではのエレガンスや華やかさを、パッパーノが指揮する管弦楽が、軽快なテンポに抑揚とニュアンスを深く刻みながら表現し、そこに時おり革命の足音を忍び込ませた。それがリアルで洗練された舞台装置と衣裳と抜群の相性を見せる。
ここで、ごく簡単にあらすじを記しておこう。
革命前夜のコワニー伯爵のサロンで、令嬢マッダレーナと詩人シェニエは出会い、従僕のジェラールは世界を変える決意をし、伯爵家を飛び出す。5年後、零落したマッダレーナはパリでシェニエに再開して愛し合う。一方、革命政府の高官になったジェラールは、マッダレーナに思いを寄せつつ、反革命的なシェニエを告発する。だが、マッダレーナに懇願されて弁護するが、結局、シェニエへの死刑判決が。マッダレーナは進んで別の死刑囚の身代わりになり、シェニエと2人で断頭台に登る。
第1幕で貴族のサロンを感じさせたウンベルト・ジョルダーノの音楽は、第2幕以降は革命後の社会を写実する。そして、パッパーノの指揮する管弦楽は、見事に写実的であると同時に、エレガンスをけっして失わない。
感情が豊かに溶け込んだ声が雄弁な管弦楽と一体化
ところで、《アンドレア・シェニエ》は、19世紀末にイタリアで流行したヴェリズモ・オペラに属すると説明される。「ヴェリズモ」とは真実主義という意味で、残虐な場面が多用され、音楽的には技巧を排して感情が直接的に表現される、といった特徴がある。
たしかに、このオペラはヴェリズモと切り離せない。だが、この演奏を聴き、この舞台を観ると、ヴェリズモ・オペラのとらえ方自体を変えざるをえなくなる。
一般にヴェリズモ・オペラは、歌手たちが声を張り上げて感情を表し、激しい情熱はいわゆる「泣き」を入れて表現するというイメージが強い。しかし、この《アンドレア・シェニエ》では違う。
第1幕の冒頭近くから、ジェラール役のアマルトゥブシン・エンクバートは、貴族に反発するソロを実に格調高く表現した。続いて、シェニエ役のヨナス・カウフマンがアリア「ある日青空を眺めて」を、ニュアンスたっぷりに歌い上げた。これは情熱的なシェニエが、マッダレーナに愛の崇高さを伝える即興詩だが、情熱が上ずることなく、ピアニッシモも駆使した多様で豊かなニュアンスとして、音楽に織り込まれた。
また、第2幕で再会したマッダレーナとシェニエの愛の二重唱。甘い旋律が抑揚をつけられてゆったり奏され、そこにカウフマンと、マッダレーナ役のソンドラ・ラドヴァノフスキーの、強弱と色彩によって感情が豊かに溶け込んだ声が、濃密な情熱を表現した。
このように、このオペラにみなぎる情熱は、剥き出しの感情としてではなく、すぐれた歌手たちの高度なテクニックを前提にした、ニュアンスたっぷりの洗練された歌唱として表現される。それはパッパーノの徹底した指示もあってのことだろう。その結果、声は雄弁で細やかな管弦楽と見事に一体化する。
第3幕の、ジェラールのアリア「祖国の敵」の力強い品格。マッダレーナのアリア「母は死んで」の磨かれた歌唱による深すぎる感情表現。第4幕の、シェニエのアリア「五月のある美しい日のように」の端正な情熱。シェニエとマッダレーナの最後の二重唱はいうまでもない。それだけでも価値があるが、そこに止まらない。
深い感情が渦巻く情熱的な歴史劇が、作り込まれた舞台上で、洗練された完璧な音楽で表現され、名歌手たちの磨き抜かれた至芸に酔える。この《アンドレア・シェニエ》を超えるエキサイティングなオペラ体験は、滅多にできるものではない。