井内美香(オペラ・キュレーター)
英国ロイヤル・オペラが満を持して挑んだ『指環』に絶賛の嵐
英国ロイヤル・オペラ・ハウスのシネマ・シーズンに、ついに最強の演目が現れた。ワーグナーの四部作『ニーベルングの指環』の序夜《ラインの黄金》である。『指環』は世界中の歌劇場でもっとも人気のある演目の一つだが、壮大な世界観を描いた大作であるゆえに、上演する劇場側も覚悟を持って臨まねばならない作品だ。
英国ロイヤル・オペラは、開幕公演として9月に《ラインの黄金》を上演した。これから一年に一作ずつ『指環』を上演していく予定である。長年務めた音楽監督の役割が今シーズンで最後となるアントニオ・パッパーノは、最後のシーズン・オープニングにこの演目を指揮することを選んだ。演出を担ったのは、オペラ界で最も注目度が高い演出家の一人、バリー・コスキーである。同劇場で『指環』が新制作されるのは19年ぶりだ。
蓋を開けると、この新制作は大評判となり、世界中のジャーナリストから絶賛された。「キャストは弱い歌手が見つからず全員が素晴らしい出来栄えで、パッパーノ指揮はワーグナーの壮大さと緻密さの両方を見事に表現した(ガーディアン紙)」「バリー・コスキー演出の《ラインの黄金》は不気味で、鮮やかで、強烈だ(ニューヨーク・タイムズ紙)」「《ラインの黄金》が、アントニオ・パッパーノの指揮で開幕し、物語性の高い、起伏ある演奏が空前絶後の賛辞を受けた(音楽の友誌)」といった具合である。
強烈なコスキー演出
ワーグナー『指環』の特徴は、神々と人間の雄大な物語と、それを表現する、見事な織物のように織り上げられた音楽である。神々の傲慢から世界が滅亡の危機に陥るというストーリーは、さまざまな解釈が可能であり、演出家の腕の見せ所となっている。
コスキーはオーストラリア出身ユダヤ系の演出家だ。インタビューなどで「僕はユダヤのゲイのカンガルー」と自らを形容していることからも分かるように、人間の本質を痛烈な表現で観客に突きつける演出が持ち味である。
ここからは演出の内容を少しだけ紹介したい。《ラインの黄金》は、“愛を諦めた”醜い地底人アルベリヒによって作られた、権力の象徴であり呪いがかかった黄金の指環によって神々の世界の終わりが始まるという内容だが、コスキー演出では、冒頭部分から(俳優が演じる)白髪を長く伸ばし、痩せ衰えたひとりの老女が全裸と見える格好で、よろよろと舞台を横切るところから始まる。
この老女はオペラが上演されている間、舞台にずっと存在している。彼女は実は『指環』の要となる登場人物の一人、大地(=地球)の女神エルダだ。傲慢な神々の長年の行いが大地を荒らし、エルダはこのような姿になってしまっているのである。最後の方にエルダが歌う場面があるが、俳優が照明に照らされている間、オペラ歌手は暗がりの中から歌う。
神々は乗馬服のようなハイソサエティの格好をしている。一方、神々のために城を建設した巨人族はヤクザ者のようなスーツと身のこなし。そして地底に住むニーベルング族のアルベリヒとミーメは貧しい身なりで、恐ろしい顔の被り物をつけた子役たちがさらに虐げられた労働者を演じる。
これはまるで現代社会を鏡で写しているようではないか?コスキー演出は『指環』の世界を、今の人間社会が地球を破壊している様子に見事に重ねているのである。
パッパーノ指揮の元、望みうる最高のキャストが集結
英国ロイヤル・オペラのオーケストラを知り尽くしたパッパーノの指揮も、かつてないほどにパワフルだ。その一方で、次作以降にも重要となるライトモチーフ(物語のさまざまな事象を示す音楽的なモチーフ)群が巧みに鳴らされるのを聴くと、今後の展開への期待に胸がワクワクする。
歌手たちも強力だ。神々の長ヴォータンを歌ったのはクリストファー・モルトマン。はっきりとキャラクターを打ち出した力強い歌唱で魅了した。アルベリヒのクリストファー・パーヴェスは、ヴォータンと同じように欲望にまみれているが、神々と違って何も持たずに生まれてきた不幸な男を迫力を持って演じている。その他の登場人物にも、ワーグナーを上演するのに理想的なキャストが集結している。
《ラインの黄金》で提示された世界観は今後、どのように変化していくのだろうか?それを最大限に楽しむためにも、まずは今回の上演を見逃がさないようにしたい。