2023.06.30

オペラ『フィガロの結婚』を初心者でもわかりやすく解説します

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家田 淳(演出家・翻訳家 洗足学園音楽大学准教授)

「フィガロの結婚」の理想形

 マクヴィカー演出「フィガロの結婚」は、この作品を安心して楽しめる王道のプロダクション。美術・照明・衣裳がきわめて美しく、大きな窓から取り込んだ明かりが、一日の時間経過を表しつつ、一瞬一瞬を絵画のように照らし出す。
 今回の再演の歌手の顔ぶれは若く、人物たちの実年齢に近くて、演技も達者。バロックからモーツァルトのレパートリーに定評のあるチャーミングなスザンナ役ジュリア・セメンツァートを初めとして、フィガロ役のリカルド・ファッシ、伯爵夫人役のフェデリカ・ロンバルディ、憎めない伯爵役のヘルマン・アルカンタラなど、それぞれ役にピッタリで魅力的だ。

 しかも今回はマクヴィカー自身が再演演出を手がけているため、芝居がよりイキイキと立ち上がっている。
 オペラハウスでは通常、プロダクションが再演される場合、オリジナルの演出家が稽古をすることは滅多になく、劇場付きの再演演出家が担当するのが一般的である。非常に短い稽古時間で仕上げることも多く、劇場によってはいかにもおざなりな演技を見さされることもある。その点、ロイヤル・オペラ・ハウスは再演でも作品のクオリティに目をくばり、稽古にしっかり時間をかける。特に「フィガロの結婚」のように演劇並みに緻密な芝居を要求されるアンサンブルオペラでは、これはとても大事なことだ。

 指揮者パッパーノ自身がフォルテピアノでレチタティーヴォ・セッコの伴奏をしていることも、聴きどころのひとつ。
 パッパーノとマクヴィカーは相性が良いようで、インタビュー中、パッパーノは「私たちはどちらが指揮者でどちらが演出家とも言えない関係性だよね」と言っている。指揮者と演出家の作品に対するビジョンが必ずしも一致しない場合も多い中、音楽・演技の表現が完全に融合した舞台は、オペラの理想的な形と言える。

18世紀の#MeTooオペラ

 さて、「フィガロの結婚」というモーツァルトの代表作品について改めて考えてみると、その新しさに驚かされる。賢い女性たちが手を組んで、セクハラ親父を懲らしめる物語。これは18世紀の#MeTooオペラだ。
 
 作品の中で、機知の点では常に女性の方が男性の先をいっている。
 フィガロは一見、婚約者スザンナを守るために上司の伯爵に果敢に立ち向かうヒーローだが、実は作品中、フィガロの計画はほぼどれも失敗に終わる。彼だけではなく、スザンナに言い寄る浮気性の伯爵や、伯爵夫人に恋する小姓ケルビーノもしかりで、男たちはヘマばかりしている。状況を救うのはスザンナであり、伯爵夫人であり、スザンナの恋敵マルチェリーナ、スザンナの従姉妹バルバリーナといった女性陣なのだ。

 幕前映像の中で指揮者パッパーノが語っているように、これはフェミニストオペラなのである。こんなオペラはモーツァルト以前には存在しなかった。
 このオペラには伯爵から、医者、召使、庭師・農民まで、あらゆる階層の人間が登場する。それぞれに性格描写が細かく人間味をもって描かれており、しかも中心にいるのは貴族ではなく召使のフィガロとスザンナである。完全な身分社会だったフランス革命前のヨーロッパにおいて、ここまで平民が中心になって活躍するオペラを作った人もモーツァルト以前にはいなかった。
 音楽的にも、全役の中で一番低い音を歌うのがフィガロで、一番高い音を歌うのがスザンナ。それ以外の人物たちは彼らの間にはさまれている形になっているという、小憎い仕掛けだ。伯爵夫人とスザンナには声が完璧に溶け合う手紙の二重唱を歌わせ、音楽によって身分の差を消している。
 つまりモーツァルトは多様性の作曲家でもあった。240年近く前に、現在の私たちの社会に吹いている旋風を先取りしていたとは、改めてモーツァルトの慧眼に感服する。

ディテールが光る舞台

 この演出では、設定が18世紀後半スペインから19世紀前半のフランスのシャトーに設定が移されている。視覚的にはそれほど変わりがないように見えるが、18世紀後半と19世紀前半では、フランス革命の前と後であるという違いが大きい。
 シャトーでは従者たちがのびのびと気兼ねなく振る舞い、常にあちこちに登場して、伯爵夫妻の様子を観察している。
 それでいて、室内の調度品はルイ16世様式で統一されている。世の中は平等になったのに、シャトーのオーナーである伯爵だけはいまだに革命前の世界に閉じこもっていると言いたいかのよう。
 そんな演出家のこだわりにも注目すると、いろいろな発見がある舞台だ。

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