2023.05.30

オペラ『トゥーランドット』を初心者でもわかりやすく解説します

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ドーリア・マンフレーディ事件と『トゥーランドット』

石川 了(ジャーナリスト)

『トゥーランドット』の作曲家ジャコモ・プッチーニにまつわるドーリア・マンフレーディ事件をご存じだろうか。

<ドーリア・マンフレーディ事件>
1903年2月、プッチーニが自動車事故を起こしたあと、プッチーニ家にメイドとして16歳のドーリア・マンフレーディが雇われた。従順な彼女はプッチーニ夫妻に可愛がられるが、プッチーニが社交好きで女好きでもあり、嫉妬深い妻エルヴィーラは夫とメイドの関係を疑い、日に日にドーリアを誹謗中傷した。エルヴィーラからの執拗ないじめに耐えられなくなったドーリアは、1909年1月に命を絶った。検視の結果、ドーリアが処女であることが判明する。マンフレーディ家はエルヴィーラを告訴。プッチーニは多額の示談金と引き換えにドーリアの家族に告訴を取り下げてもらい、ようやく事件は解決するのだった。

<事件がプッチーニに与えたもの>
まるで韓流ドラマのようなスキャンダルは、当時のイタリアのメディアを連日賑わせ、その後のプッチーニ作品にも大きな影響を及ぼした。彼の最後のオペラ『トゥーランドット』では、エルヴィーラとドーリアのキャラクターが、それぞれ氷の姫君トゥーランドットと女奴隷リューに反映されているとも言われる。
原作は18世紀ヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴッツィによる戯曲だが、原作にリューは存在しない。しかし、プッチーニのオペラではリューの存在感は際立ち、愛する主人のために自己犠牲を厭わない女性として、美しいアリアも3曲用意されている。これは、プッチーニのドーリアに対する償いの気持ち?それとも…。ちなみに彼自身はドーリアとの関係をきっぱりと否定している。
プッチーニは「リューの死」を書き上げて、1924年11月29日に死去。未完となった『トゥーランドット』は、その後、弟子の作曲家フランコ・アルファーノが補筆して完成する。

<「誰も寝てはならぬ」の真の姿>
英国ロイヤル・オペラハウス(ROH)2022/23シネマシーズンは、オペラの入口のハードルを下げて有名オペラを鑑賞できるのが魅力だ。『トゥーランドット』は、全3幕各45分ほどの長さの中に、美しい旋律とドラマティックなオーケストラ、迫力の合唱があふれ、オペラ初心者でもまるで映画のようなエンターテイメント感覚で楽しめる。
国を恐怖に陥れる冷酷なトゥーランドット姫に一目惚れした異国の王子カラフは、彼女と結ばれるために命を賭けて三つの謎を解く。カラフを拒絶するトゥーランドットに、彼は「自分の名前を当てれば喜んで死にましょう」と逆に謎を出し、彼女は国中に「誰も寝てはならぬ」と御触れを出すのだった…。そんなトゥーランドットを想ってカラフが歌う「誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)」はフィギュアスケートでも有名だが、このアリアを劇中で接してみると、単なる旋律の美しさだけではない、何かこみあげてくるものを感じるはず。「誰も寝てはならぬ」の真の姿は、オペラの中でしか体感できないのだ。

<ロンドンはダイバーシティ>
音楽ファンには、今、欧米で活躍中の国際色豊かな歌手たちも必見だ。タイトルロールを歌うイタリア人ソプラノのアンナ・ピロッツィはイタリア、リューを歌うまだ20代の若きソプラノ、マサバネ・セシリア・ラングワナシャは南アフリカ、ティムールを歌うバス歌手ヴィタリー・コワリョフはウクライナ、そしてカラフ役のテノール、ヨンフン・リーと宰相ピンを歌うバリトン、ハンソン・ユは韓国。ロンドンのエンターテイメント界はまさにダイバーシティだ。筆者的には、しなやかな演技と美しいリリカルヴォイスで喝采を浴びていたピン役のハンソン・ユに注目している。

ドーリア・マンフレーディ事件と『トゥーランドット』。プッチーニとエルヴィーラ、そしてドーリアの、ある意味、現代にも起こり得る人間ドラマに想いを馳せながら、大迫力のスクリーンと臨場感あふれる音響空間で鑑賞する『トゥーランドット』体験。ROH音楽監督アントニオ・パッパーノが導く圧巻の音楽絵巻を堪能したい。

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