石川了(音楽・舞踊プロデューサー)
●愛と年の差!
19世紀初頭のオペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)は、『セビリアの理髪師』もそうですが、年配の金持ち男が若い娘に手を出し、彼女とその恋人、彼らの恋の成就を助ける知恵者の三人にコテンパにやられるという物語が結構存在します。70歳の資産家が若い娘と結婚しようとして痛い目に会う、ドニゼッティの傑作『ドン・パスクワーレ』もまさに同じ系統といえるでしょう。
このオペラに関して、さすがに70歳での結婚は如何なものかと眉をひそめる方もいるかもしれませんが、ドン・パスクワーレは独身だから結婚も自由、「年の差婚」という言葉があるように、お互いの同意さえあれば結婚に年齢差は関係ありません。また、物語の根底には、彼の莫大な遺産も狙う若者たちの思惑もあるから、年齢が決して遠くはない筆者としては、ドン・パスクワーレだけがここまでヒドイ目に会うのは許せないなあと、彼に同情しちゃいます。もちろん筆者にこんな莫大な資産はありませんが…。
このように、『ドン・パスクワーレ』は現代につながる身近な要素も満載で、だからこそ1843年にパリで初演されて以来、ある意味エイジハラスメント的な内容があっても、ドニゼッティ作曲の美しい音楽と共に、今なお世界中で愛されているのでしょう。
●まるで海外ドラマ!
そんな『ドン・パスクワーレ』を演出したのは、現在世界中の歌劇場で引っ張りだこのイタリア人演出家、ダミエーレ・ミキエレット。彼の演出の特徴は、大胆な設定と鋭い人間洞察。ミキエレットは、このオペラの演出に当たり、下記のようにコメントしています。
「舞台に自分の人生やイマジネーションを重ね、現実世界に結び付けるのは自然なことです。」
設定を現代に移した彼の『ドン・パスクワーレ』では、車やスマホも登場。主人公の子供時代の風景も挿入され、彼が住む家が母親と暮らしていたときのままになっていることがわかります。過去の思い出にしがみつく、70歳なのに子供のままのドン・パスクワーレ。この主人公のキャラクター設定は重要で、『ドン・パスクワーレ』というストーリーに、現代的な強い説得力を与えています。
主人公と母親との思い出をぶち壊しにするノリーナと、主人公の主治医マラテスタとの関係も何か怪しいし、彼女の恋人でドン・パスクワーレの甥エルネストは「甥っ子は役立たず、ご老人の悩みの種」と合唱で歌われるようにボーっと生きている。「こんな人たち、現実にいるよね」と呟いてしまう登場人物たちは結構リアルで、まるで海外ドラマを観ているかのよう。ラストまで目が離せません。
●声の饗宴!
この公演では、錚々たる人気歌手たちの声の饗宴が楽しめるのも嬉しい。ドン・パスクワーレ役のブリン・ターフェルはウェールズ出身のバス・バリトンで、この映像は彼が初めて同役に挑んだ熱演の記録となりました。ノリーナを歌うロシア出身の美人ソプラノ、オルガ・ペレチャッコは、本公演が英国ロイヤル・オペラデビュー。マラテスタ役を演じるオーストリア出身のイケメンバリトン、マルクス・ウェルバはサントリーホールのホール・オペラ「モーツァルト&ダ・ポンテ三部作」で日本でもおなじみ。エルネスト役のイオアン・ホテアは1990年ルーマニア生まれの若手テノールです。
今回のキャストは国籍もさまざまで、その上イタリア人もいないため、イタリア的ベルカントのカラーはあまり感じられないかもしれませんが、このようなオペラ・ブッファを映画館で鑑賞するポイントとして、歌唱だけではなく、彼らの表情のアップや演技、汗の一粒一粒にも注目いただけると楽しさ倍増ですよ。
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズンのいいところは、オペラ本編のみならず、合間に挿入されるインタビューが作品の理解や公演の見どころに役立つこと。今回は、音楽学者フローラ・ウィルソンが語る19世紀パリのオペラ事情、歌手たちが綴るストーリーと人物キャラクター説明、指揮者エヴェリーノ・ピドによる作品解説、そしてミキエレットと装置デザーナーのパオロ・ファンティン、衣裳デザイナーのアゴスティーノ・カヴァルカによる演出意図など、今回の『ドン・パスクワーレ』プロダクションの魅力がさまざまな角度から理解できるので、開演前と休憩後のスタートに遅れないように座席にお戻りくださいね。
Brexitが現実化した今、なかなか英国には行きづらい状況かもしれませんが、英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズンで、ロンドンのコヴェントガーデンのあの雰囲気を、日本の映画館でたっぷり楽しみましょう。