石川了(クラシック音楽専門TVチャンネル「クラシカ・ジャパン」編成)
<涙なくしては見られない最高のメロドラマ>
【衰え知らずのプラシド・ドミンゴ!】
プラシド・ドミンゴといえば、故ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスと並ぶ「三大テノール」の一人としてお馴染みですよね。そんな彼も、現在78歳。普通に考えて悠々自適の引退生活を送っていてもおかしくない年齢ですが、ドミンゴの舞台への情熱は衰えることなく、何と近年は声域を低くし、バリトンの役柄でまだまだバリバリの現役として歌い続けています。
この英国ロイヤル・オペラ『椿姫』でも、ドミンゴはアルフレードではなく、その父親ジェルモンを歌っています。1980年代にフランコ・ゼッフィレッリ監督の映画『ラ・トラヴィアータ – 椿姫 -』(劇場公開時タイトルは『トラヴィアータ 1985・椿姫』)ではテノールのアルフレードを歌い、今回はバリトンのジェルモンを歌う。その両方が映像で残されているアーティストも皆無ではないでしょうか。
ドミンゴの凄いところは、俳優のような演技力と、どんな舞台でも破綻しない安定した歌唱力。この『椿姫』では何といってもジェルモンの有名なアリア『プロヴァンスの海と陸』が見どころ。声はやはりテノールだと思うのですが、語り口の上手さ、ちょっとした泣きの入るところなど、まさにドミンゴ!白髪で、年齢を重ねた彫りの深い顔つきも、年老いた父親のリアルさが出ていて目が離せません。
【映画監督としても知られる演出家 リチャード・エア】
このリチャード・エア演出版は、1994年ゲオルグ・ショルティの指揮で初演された伝統のプロクダション。初演でヴィオレッタを演じたのがアンジェラ・ゲオルギューで、英国ロイヤル・オペラではルキノ・ヴィスコンティ以来27年ぶりの新演出ということで、当時大きな話題を呼び大成功を収めました。
2019年で25周年というプロダクションの人気の秘密は、『アイリス』『あるスキャンダルの覚え書き』など映画監督としても知られるエアのリアルな人間描写ではないでしょうか。読み替えをしないオーソドックスな展開の中で、例えば第2幕のフローラのパーティーの女性たちが高級娼婦で、ここで踊るロマの女性たちとの(女性同士の)微妙な関係など、なかなか細かいところがリアル。ヴィオレッタの常に持っている孤独、愛するアルフレードとの微妙な距離感などは、映画『アイリス』で描かれたアイリス・マードックと彼女を複雑な想いで介護する夫ジョン・ベイリーとの冷徹な描写にも共通しています。
今回の上映の休憩時に、エアと美術のボブ・クロウリーが、初演時のショルティとの関係や制作エピソードを語っていますが、このプロダクションを理解する手がかりにもなっていますのでお見逃しなく。
【ヴィオレッタ歌い~ダイナミックな歌唱と美貌のエルモネラ・ヤオ】
私自身、2008年1月に、このプロダクション再演の初日を現地で観ています。ヴィオレッタは出産前のアンナ・ネトレプコ、アルフレードはまだそれほど有名ではなかったヨナス・カウフマン、そしてジェルモンには今は亡きディミトリ・ホロストフスキーという夢のようなキャスト。当日券限定66枚を朝から並んでゲットし、あまりの素晴らしさに大号泣した記憶があります。
ゲオルギューから始まり、多くのソプラノが歌い継いできたエア版ヴィオレッタ。今回演じるのは、ダイナミックな歌唱と美貌で現在大人気のアルバニア人ソプラノ、エルモネラ・ヤオ。第1幕から薄幸な娼婦にぴったりの儚い美しさが魅力。第3幕の死に様もドラマティック。近年オペラは映像公開されるので、歌手にも声だけでなく演技・容姿が求められる時代。そういう意味でヤオは、今の時代に求められるものを持って生まれたスターと言えます。
19世紀パリの社交界を舞台に、高級娼婦ヴィオレッタが青年アルフレードと出会い、彼を愛しながら別れを決意、一人寂しく死んでいくという『椿姫』は、『リゴレット』『イル・トロヴァトーレ』と並ぶヴェルディ中期三部作です。この3作に共通するのは、主人公が社会の底辺の人たちであること(『リゴレット』は道化、『イル・トロヴァトーレ』はロマの吟遊詩人)。当時ヴェルディは、父親違いの3児の母でもあったソプラノ歌手ジュゼッピーナ・ストレッポーニと同棲しており、敬虔なカトリック信者が多いイタリアでは冷たい視線を浴びていました。『椿姫』は、このようなヴェルディとジュゼッピーナの境遇が反映されているとも言われています。
オペラを観たことない人に、私が最初にオススメしている作品が、この『椿姫』。音楽が美しいし、ストーリーもわかりやすい。さらにそれほど長くない。言葉がわからなくても、ヴェルディの音楽が描く一人の女性の悲恋が美しく切なく、涙なくしては見られない最高のメロドラマ。それが『椿姫』なのです。