家田 淳(演出家・翻訳家、洗足学園音楽大学准教授)
大躍進中のメゾソプラノ、アイグル・アクメチーナを今観ておきたい!
ロイヤル・オペラ・ハウス(以下ROH)「セビリアの理髪師」(モッシュ・ライザー、パトリス・コーリエ演出)は、絵本のようなファンタジックな世界。カラフルな衣裳は18世紀と現代のデザイナーテイストのミックスで、フィガロのいでたちはスーパーマリオのよう。演技達者な歌手達によるハッピーなコメディを存分に楽しめる舞台である。
2005年初演のプロダクションでもう5回目の再演になるが、今回はオリジナル演出家が実際に稽古をつけ、内容をブラッシュアップしている。歌手の演技もディテールが刷新されてフレッシュさを感じられる。
今回の再演で大注目なのが、ロシア出身のメゾソプラノ、アイグル・アクメチーナ。まだ20代後半の若さで現在、世界中の歌劇場を席巻し「新生ネトレプコ」とも称される次世代のスターである。
アクメチーナは若干19歳でROHの養成機関ジェットパーカー・ヤングアーティスツ・プログラムに入所した。そして期待通りに羽ばたき、2019年に同歌劇場でバリー・コスキー演出「カルメン」でタイトルロールを演じたほか、今後もメトやバイエルン歌劇場で「カルメン」タイトルロール、ROHで「ウェルテル」シャルロットなど大舞台での主演が目白押しである。実は日本でも2020年、新国立劇場「こうもり」オルロフスキー役で登場している。
「セビリアの理髪師」ロジーナも持ち役の一つ。アリア”Una voce poco fa(今の歌声は)”ではヴェルヴェットのような声とアジリタの確かさに加え、妖艶な炎で一瞬にして独自の世界に引き込む。キュートなルックスに、毒をもつ妖しさ。目が離せないヒロインなのだ。
ROHのジェットパーカー・ヤング・アーツプログラムについて少し。このプログラムは世界で最も権威あるオペラ養成機関の一つで、国籍は問わないため世界各国から毎年多数の応募があるが、入所できるのは1年に歌手5名、ピアニスト1名、指揮者1名、演出家1名のみ。ある程度プロとしての実績を持つ20代後半から30代前半の人がほとんどで、アクメチーナの19歳での入所は異例中の異例。当時からそれだけずば抜けた才能を見せていたのだろう。
筆者は2014年にこちらのプログラムで半年間研修する機会に恵まれ、演技や語学のレッスンに一緒に参加しながら、若い彼らが学ぶ様子をつぶさに見ることができた。
在籍する歌手は、歌や演技、各国語のレッスンを日々受けながら、ROH本公演における主要な役のカバーを務める。本役の歌手が降板するといきなり主役デビューができるという、大きなチャンスに恵まれる。私が滞在していた半年ほどの間にも、数名が実際に主役デビューを飾り、大手新聞の評で賞賛されていた。
今回の「セビリア」でもう一人の注目は、音楽教師バジリオ役のブリン・ターフェル。今回、ターフェルはバジリオのロールデビューをしているのだ。
言わずと知れた大スターで、普段はオランダ人、ヴォータン、ファルスタッフ、ミュージカルではスウィーニー・トッドなど主役・準主役を歌う歌手でありながら、今さら脇役バジリオにわざわざ挑戦するのは、シリアスもコミカルもこなす演技派ターフェルならではの遊び心であろう。実際、アリア”La calunnia è un venticello(悪口はそよ風のように)”では雇い主バルトロ役の歌手を完全に食ってしまう怪演を見せつつ、全員で呼吸を合わせなければならない1幕フィナーレのようなシーンでは、しっかりアンサンブルの一員に徹している。若い頃は「フィガロの結婚」のほうのフィガロを当たり役としていたが、同じストーリーにおいて今度はフィガロの敵役ペテン師を演じるのも楽しんでいるに違いない。やつれ風情の気持ち悪いロングヘアは本人も気に入ったらしく、公演初日に「こんな音楽教師に教わるのは嫌だろうなあ」というおどけたコメントとともに、ツイッターに自撮りをアップしている。
今年4月には東京・春・音楽祭でソロリサイタル、そして「トスカ」(演奏会形式)にスカルピアで登場し、圧巻のパフォーマンスで喝采を浴びていた。彼が現れた途端、何のセットもないコンサートホールも劇場空間に変身するのである。
ロイヤル・オペラ・ハウス・シネマでは7月に「セビリアの理髪師」の後日譚である「フィガロの結婚」も上演が予定されている。2本とも観て、ストーリーと人物たちのつながりを楽しむのもお勧めしたい。