森菜穂美(舞踊評論家)
魅惑の愛と官能と食べ物の大河ロマン『赤い薔薇ソースの伝説』
大ヒットしたメキシコ映画が『不思議の国のアリス』の名手たちに料理され、英国ロイヤル・バレエの舞台作品に
1992年に日本でもミニシアターで公開されてヒットしたメキシコ映画『赤い薔薇ソースの伝説』を観た方はいるだろうか。禁じられた愛が生み出す官能と食べ物が結びついて、やがてありえないような驚愕の出来事が次々と起きる”マジック・リアリズム“のぶっ飛んだ描写が話題を呼んだ色彩豊かな傑作で、ゴールデングローブ賞の外国語映画賞にノミネートされ、東京国際映画祭では主演女優賞を受賞した。
原題は「Como agua para chocolate」。ラテンアメリカでは、ホットチョコレート(ココア)を作る時にミルクの代わりにお湯にチョコレートを溶かして作るのだが。この「チョコレートのための水」という言葉がメキシコでは「情熱」「激怒」「情愛による官能」という意味があり、原作者のラウラ・エスキヴェルがこの言葉に触発されて小説を書いたという。
ロイヤル・バレエで初演されて大ヒットし、世界中のバレエ団で上演された『不思議の国のアリス』。この傑作バレエを創作した振付家クリストファー・ウィールドン(『パリのアメリカ人』『MJ:ザ・ミュージカル』でトニー賞受賞)、作曲家ジョビー・タルボット、そして美術のボブ・クロウリーのクリエイティブ・チームが『冬物語』に続き、最新作『赤い薔薇ソースの伝説』で結集した。ロイヤル・バレエでの初演は大評判を呼び、今年4月にはアメリカン・バレエ・シアターでも上演される予定だ。
バレエ版ならではのスペクタクルと華麗なダンスが織りなす情熱の大河ドラマ
元となった映画も大胆な展開と演出なのだが、今回のバレエ版は、映画の世界観を尊重しながらも、舞台芸術ならではのスケールの大きなスペクタクル作品に仕上がった。音楽はメキシコ生まれでメキシコ観光大使を務め、ドミンゴに絶賛されるなど今大注目を集めている女性指揮者アロンドラ・デ・ラ・パーラが監修し指揮をした。メキシコの民族楽器を駆使した民族音楽を思わせる魅惑的なスコア、乾いた光と色彩が豊かで文様などメキシコ文化を取り入れたクリエイティブな舞台美術、ミュージカルのように華やかでダイナミックなダンスシーン、極めつけはティタとペドロによる官能的でパッション溢れるデュエットと、物語バレエ作品の魅力がぎゅっと詰まっている。彼らの30年にわたる愛の軌跡が、ドラマチックに、そして文字通り燃え上がるような情熱をこめて料理されている。
禁じられた愛が料理にこめられ、そして不思議な奇跡が起きる!
毒母ママ・エレナに恋人ペドロとの結婚を禁じられたティタは、報われない想いを得意の料理に込める。ティタの料理は、それを食べた人に、時には過去の悲しい恋愛を思い出させ、時には内に秘めた官能に火をつけてとんでもないことが起こる。末娘が幸せになることが許せないママ・エレナは死してなおも、巨大化した亡霊となって彼女を悩ませる。これらの“マジック・リアリズム”的な描写が、名手ウィールドンの巧みな手腕によりバレエでドラマチックに表現されるところが大きな見どころである。
『キャッツ』のヒロイン、フランチェスカ・ヘイワード始めロイヤル・バレエの煌めくプリンシパルたちが演じるドラマ
ロイヤル・バレエのダンサーたちは、踊りだけでなくて演技者としてもトップレベルだ。家族のしきたりと毒母によって悲惨な運命を与えられた、料理上手のヒロインには、映画『キャッツ』で白猫ヴィクトリアを好演し、映画版『ロミオとジュリエット』でもジュリエットを初々しく演じた愛らしいフランチェスカ・ヘイワード。過酷な運命と戦い、30年にもわたる愛を貫く一途さと強さをピュアに情熱的に演じている。ペドロには、しなやかな身体能力に恵まれたチャーミングなマルセリーノ・サンベ。幼馴染として子どもの頃に出会い、愛し合っていたのに残酷な宿命で引き裂かれ、様々な出来事を経ててもなお、熱く愛し合い続けてついに結ばれるまでの強い想いを、二人ともダンスを通じて繊細に表現して物語に観客を引きこむ。
死んでも亡霊となってティタを悩ませる強権的な、しかし秘密を抱えたママ・エレナを演じるのは、ロイヤル・バレエきっての演技派で、今シーズン末に惜しまれて引退するラウラ・モレ―ラ。このほかティタを優しく見守り愛する医師ジョン役にはマシュー・ボーンの『白鳥の湖』で主役である男性の白鳥を演じたマシュー・ボール、眼鏡姿の誠実な男性という今までにない役柄に挑戦した。ペドロと結婚するもののティタに激しく嫉妬して苦しむ長姉ロサウラにマヤラ・マグリ、ティタの料理で官能に火をつけられて妖艶に踊り狂い革命戦士となる次姉ゲルトゥルーディスにミーガン・グレース・ヒンキス、そして馬に乗ってゲルトゥルーディスを連れ去っていくワイルドな革命戦士ホアンには、華麗な超絶技巧で場を支配するセザール・コラレス。6人のプリンシパルが主要な役を演じる贅沢なキャスティングだ。
バレエ作品がこんなにも燃え上がるようにセクシーでドラマチックかつ奇想天外なんて!と観た者まで思わず情熱的な気持ちに火がついてしまう、わくわくさせて魅惑的な逸品が『赤い薔薇ソースの伝説』。魔術的で官能的な世界をぜひ大スクリーンで楽しんでほしい。