『カルメン』の見どころをご紹介します

 世界のスタンダードになりうる、すべてがハイレベルな《カルメン》 

香原斗志(オペラ評論家)

 

1875年3月3日にパリのオペラ・コミック座で初演された《カルメン》。作曲したビゼーは3カ月後の6月3日、帰らぬ人となってしまったが、それから150年にわたり世界中で大きな人気を維持している。
人気の理由の最たるものは、ヒロインのカルメンが体現する女性像だろう。彼女はまだ男尊女卑の気風が根強かった19世紀においても、ジェンダー平等が強調される今日においても、自由な女性の象徴である。いきなり有名な「ハバネラ」で「恋は野の鳥、だれも飼い慣らせない」と宣言し、強い自我をむき出しにする。そしてドン・ホセを誘惑し、その運命を大きく変えてしまう。

こういう女性は、男性上位の社会では女性にカタルシスをあたえ、男性の甘い破滅願望も叶えてくれた。それは、まだジェンダー平等の途上にある現代でも同じだろう。
そこにスペイン趣味が横溢するキャッチーで魅力的な音楽がまぶされる。旧来の価値観を代弁するミカエラなどは、フランス色の強い音楽で表現され、それとの対比で舞曲を中心にスペイン色が押し出される。いずれも耳に心地よいと同時に、カルメンの世界観を強烈に彩る。

 

音楽と演出のすぐれたバランス

前置きが長くなったが、オペラ《カルメン》の魅力が、これ以上ないほどに炸裂しているのが、2017年7月にパリのオペラ・バスティーユで上演され、圧倒的な評判を勝ちとったこの公演である。《カルメン》の150周年を記念して、この伝説的な舞台の映像が公開されることには、大きな意義がある。

堅実に音を運びながらそこに色彩を際立たせ、彫りの深いドラマを構築するイギリスの指揮者、マーク・エルダーのもと、前述したような音楽的な特色が際立つ。しかも、音楽と演出のバランスがよい。

カリスト・ビエイトの演出は、舞台をオリジナルの設定である1830年ごろのセビーリャから、1世紀ほど下った20世紀のフランコ政権下のスペインに移した。だが、音楽が強く醸し出すアンダルシアの色彩との違和感がない。
たとえば、第2幕のリーリャス・パスティアの酒場の場面。屋内の酒場ではなく広い屋外だが、真ん中に古い大きなメルセデスベンツが置かれ、カルメンは「ボヘミアの歌」を歌い終わると、踊りながら車の屋根に上る。その一つひとつの動きが演劇的で、同時に流れる音楽を引き立てる。ひとつだけ降られるスペイン国旗も、音楽に適度な色彩感を添える。
闘牛士のエスカミーリョが登場する前になると、何人かが火を掲げ、それがまた音楽の色彩を補う。また、オペラ《カルメン》の生命でもある舞曲や行進曲は、常に人々の動きで支えるように工夫されている。ダイナミックかつ芸が細かい演出なのである。

 

歌唱も演技も卓越した4人の歌手の稀有な競演

しかも、こうしたすべてが、超一流の歌手たちの卓越した歌と演技に支えられている。
エリーナ・ガランチャのカルメンは、私にとっては、記憶していたカルメン像のほとんどが洗い流されるほど、インパクトが強いものだった。磨き上げられたやわらかい声は、いつもながら高貴な響きをたたえ、そこにえもいわれぬ妖艶さが加わっている。しかも、ひと言で妖艶といっても、その表情は変幻自在で、容姿、動き、眼の表情……といったすべてが、男を惑わす自由な女を体現している。
高貴な妖艶さ。いや、色香とは高貴でなければ力をもたない、と教えられるようだ。時折アップになる彼女の顔が、映画のワンシーンのように表情豊かで、しかも、常に一定の気品が漂っているから、カルメンにますます惹かれてしまう。

ドン・ホセのロベルト・アラーニャも負けていない。独特の色彩を帯びた魅惑的なテノールは、美しさをたもったまま、ドン・ホセを歌うのにふさわしい力強さを獲得している。フランス語とフレージングがすこぶる美しいから、情熱も狂気も映える。カルメンとの最後の二重唱は、まさに迫真という言葉がふさわしい。
また、ミカエラとの二重唱の叙情性あふれる美しさも、特筆すべきだろう。ミカエラを歌うマリア・アグレスタも、これら2人に負けないレベルのソプラノで、繊細なピアニッシモを交えた叙情表現はミカエラにふさわしい。しかも、第3幕ではこの少女の芯の強さをもしっかりと伝える。
そしてエスカミーリョのイルダール・アブドラザコフ。気品と色気を兼ね備えた、豊かに響きよく伸びる低声。こうした特徴でアブドラザコフを超えるバス歌手は、世界中にほかにはいないと思われる。現代最高のエスカミーリョといって、反対する人は少ないだろう。

それにしても、品位と力強さが両立し、声を精緻に制御でき、演劇的にもすぐれている歌手が、こうして4人そろうのは稀有なことである。だから音楽的にも、演劇的にも、みな同じ方角を向き、オペラ《カルメン》の世界を深く掘り下げるのに寄与した。結果として、観る人のなかでハイレベルのスタンダードになりうる《カルメン》が生まれた。
これだけのものを観せられて(聴かされて)しまうと、私は次に《カルメン》を鑑賞するのが怖い。