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芸術と歴史が息づくフランス文化の象徴

パリ・オペラ座(Opéra de Paris)は、フランスが誇るオペラおよびバレエの殿堂であり、その壮麗な建築と芸術的遺産によって世界的に知られています。正式名称は〈パリ国立オペラ(Opéra national de Paris)〉で、現在は主に2つの劇場、〈ガルニエ宮〉と現代的なデザインの〈オペラ・バスティーユ〉を拠点としています。

1875年に完成したガルニエ宮は、建築家シャルル・ガルニエによって設計されたネオ・バロック様式の壮麗な建築物で、マルク・シャガールの天井画や金と大理石を贅沢に使った内装で時代、国境を越えて多くの人々を魅了してきました。

一方、1989年に開館したオペラ・バスティーユはバスティーユ襲撃から200年を記念し、より現代的な演出や大規模な公演に対応するために建設された劇場で、音響や舞台設備の面でも最先端を誇ります。この2つの劇場が共に運営されることで、伝統と革新が融合した多様な公演が実現しました。

パリ・オペラ座の歴史 (パリ・オペラ座公式サイトより)

〈 17世紀:創設とリュリによる発展 〉

1669年、詩人ピエール・ペランはルイ14世からフランス語によるオペラ上演の特権を与えられ、〈王立音楽アカデミー〉を設立しました。​1671年にはロベール・カンベール作曲の『ポモーヌ』が初演され、フランス初のオペラとされています。​しかし、ペランが財政難に陥り、1672年に特権をジャン=バティスト・リュリに譲渡。​リュリは作曲家・指揮者・起業家として活躍し、フィリップ・キノーとの協力で『カドムスとエルミオーヌ』などの音楽悲劇を創出しました。​この新ジャンルは劇・歌・音楽・舞踊を融合させ、フランス独自のオペラ形式を確立。​また、ルイ14世は1661年に〈王立舞踊アカデミー〉を設立し、ピエール・ボーシャンがバレエの基本ポジションを定めました。​これらの取り組みによりパリ・オペラ座はフランス文化の中心としての地位を築きました。​

〈 18世紀:改革と国有化、バレエの進化 〉

リュリの死後、オペラ座は財政難に直面し、1749年にはルイ15世が運営をパリ市に委ねました。​この時期アンドレ・カンプラがオペラ=バレエ形式を創始し、舞踊が重要な役割を果たすようになります。​また、1752年にはイタリアのオペラ・ブッファ『奥様女中』の上演が「ブフォン論争」を巻き起こし、フランスとイタリアの音楽スタイルの対立が表面化しました。​1770年代にはマリー=アントワネットの影響で、彼女の音楽教師であったクリストフ・ヴィリバルト・グルックが『オーリードのイフィジェニー』などを上演し、フランスとイタリアの様式を融合させた「抒情悲劇」が確立。​さらに、ジャン=ジョルジュ・ノヴェールがバレエ・パントマイム『メデアとイアソン』を成功させ、バレエを独立した芸術形式として発展させました。​

〈 19世紀:グランド・オペラと
ロマン主義バレエの黄金時代 〉

19世紀、パリ・オペラ座はグランド・オペラの中心地として栄えました。​ジョアキーノ・ロッシーニの『ウィリアム・テル』、ジャコモ・マイアベーアの『悪魔のロベール』、ジャック・アレヴィの『ユダヤの女』などが初演され、壮大な舞台装置と歴史的題材が特徴的でした。​バレエでは、フィリッポ・タリオーニが娘マリー・タリオーニ主演の『ラ・シルフィード』を上演し、トウ・シューズと白いチュチュを用いたロマン主義バレエの様式を確立。​また、テオフィル・ゴーティエがカルロッタ・グリジのために『ジゼル』の台本を執筆し、ジュール・ペローとジャン・コラリが振付を担当。​この時代、オペラ座は芸術と社交の場として、エドガー・ドガやエドゥアール・マネの絵画、オノレ・ド・バルザックやアレクサンドル・デュマの文学にも描かれています。

〈 20世紀:栄華、試練、そして再生へ。
激動の時代 〉

20世紀初頭、パリ・オペラ座はベル・エポックの華やかさを象徴し、上流階級の社交場として栄えました。​1911年にはワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲が初演され、ロシア・バレエ団の公演も大成功を収めました。​1914年にジャック・ルーシェが総裁に就任し、前衛的な作品やバロック音楽を積極的に取り入れ、舞台美術にも革新をもたらしました。​第二次世界大戦中は、ヴィシー政権の反ユダヤ政策により多くのユダヤ人スタッフが解雇されるなど困難な時期を迎えました。​戦後はバレエ団が国際的なツアーを行い、ジョージ・バランシンやルドルフ・ヌレエフなどの世界的振付家が活躍。​1989年には近代的な設備を備えたオペラ・バスティーユが開館し、1990年にはパリ・オペラ座と統合され新たな時代を迎えました。 ​

〈 21世紀:伝統と革新、多様性の追求 〉

21世紀に入りパリ・オペラ座は、伝統と革新の融合を図りながら芸術の多様性を追求しています。​1995年から2014年までバレエ芸術監督を務めたブリジット・ルフェーブルは、クラシック作品と現代振付家の作品をバランスよく取り入れ、レパートリーの拡充に努めました。​また、新作オペラの委嘱や若手アーティストの育成にも力を入れ、教育プログラムや地域との連携を強化し​近年では配信サービス「Paris Opera Play」を開始し、世界中の観客に公演を届けています。​さらに、環境への配慮や多様性の尊重といった社会的課題にも取り組み、持続可能な運営を目指しています。